3.11よりも3.12

あえて今日投稿します。

3.11は日本が驚愕に東北が絶望に塗りつぶされた日だが、3.12は生き残った人が、現実を直視し、希望と苦悩を胸に生き始めた日でもあります。

 

私は神戸の横にある明石にすんでおり、生まれは阪神淡路大震災があった震源のすぐ近くの北淡町出身です。

 

身近な人の死に絶望しながらも、世界中のやさしさや温かさに感動し、雀の涙ほどの希望が湧いてくるという。複雑な精神状態のバランスを必死にとり、日々するべきことを淡々と行う。

 

あの日々は経験したものしか分からないだろう。

 

そんな極限の状況で、生まれた人の強さや活かし切るのは行政のしごとです。

 

普段裏金もらおうが、不倫しようが、こういう時に命おかけて仕事をしてくれれば、何も問題ない!

 

東北の不運はその当時の首相が菅直人だったことと言われているが、私たちのころは村山富市だった。

 

あんな状況で個人で適切な処置など不可能である。

 

必要は組なのは組織としての確立された行動指標である。

 

3.11の時は阪神淡路大震災の時の経験者がボランティア組織の運営を行ったそうだが、そのノウハウは今後受け継がれていくことだろう。

 

もう亡くなった祖母が阪神淡路大震災にあったときの心に残っている言葉

「なつかしいね。戦争思い出すよ」

仮設住宅ったって立派な家じゃないか。私の人生の幼少期は全部焼けて家なんかなかったよwww」

 

戦争世代は強い!!

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